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偽善>独善

国際政治とは何か―地球社会における人間と秩序
国際政治とは何か―地球社会における人間と秩序

中西寛は序章「国際政治への問い」で、バーナード・ショウの警句を引いている。
悪いことも善いこともおよそイギリス人が手をつけないようなことは世の中に一つもないが、イギリス人が自らを不正と非難される立場に置くことは決してないのである。
(中略)
彼の標語は常に義務である。しかしイギリス人は、その義務が自らの利益に反するような者は敗者だということを決して忘れはしないのである。


これはアングロサクソン(=イギリスのみならず、アメリカ)の「偽善」であり、この連中が植民地や中米、フィリピンで何をやってきたかといえば、門戸開放とは程遠い所業であった。高邁な理想を掲げつつ、裏で下衆なことをやる。この二枚舌を、近衛文麿や和辻哲郎は批判した。

中西は続ける。
しかし私は、英米の偽善を暴くことには級でありながら、その批判が自己の立場への反省にではなく、むしろ自らの立場を正当化する論拠となった点に戦前日本の国際政治観の弱さを見る。日本は英米の偽善を指摘する点で自らがより高い道徳的立場に立っていると主張した。

これが「独善」である。英米を偽善と罵りつつ、自らは英米と同じことをしているからである。和辻はともかくとして、近衛は日本の運命を担い、致命的な方向へ導いた。彼の責任は大きい。

で、かたや「偽善」と、かたや「独善」である。どっちがマシかという疑問に対して、
日本の行為は独善的であり、アメリカは偽善的かもしれないが、両者の選択を迫られた時、第三者はよりましなほうとして後者を選ぶだろうというのである。

としている。

ショウの警句は「風刺」であり、
社会に責任をもち、しばしば偽善的行為に手を染めざるをえない者に反省を促し、たとえ容易には実現できないものであっても偽善を正す必要を再確認させる

という性質を持つ。これは、社会に責任のない者が偽善を暴く行為が認められ、時に歓迎されるのと同じことである。しかし社会に責任がある者が、自らは偽善と縁がないかのように振る舞い、相手の偽善を暴き立てるのは、正義ではないし、むしろこちらが何か一物持っているのではないかという疑いを持たれる。もちろん、世間には認められない。

中西によると、こうした日本の性質は、現在でも残っているそうであり、事例をひいて紹介されている。





というのは前フリであり、何が言いたいかというと、
MAJOR.JP | MLB News - 開催時期を問題視 国別対抗戦に古田選手会長
http://www.major.jp/news/news20050712-8637.html

古田の言い分は正しいし、成功のためには7月あたりにMLBもNPBもシーズンを中断して開催するのがもっとも好ましいだろう。そしてこの大会がMLBを富ますだけのものではないかという彼の疑問も本質を衝いている。

しかし、NPB選手会長としては、不十分なのだろうと思う。これは古田一人の責任ではないが、とにかく日本は、新たに何かを興そうとする際の構想力と、それを実現させるだけの意志力、突破力が弱い。「社会に責任がある者」としては、アメリカに仕掛けられる前にビジョンを提示できてなくてはならなかった(もちろん、古田をはじめとするNPB関係者には酷な話ではある)。今になって言い出しても、すでにMLBは日本人メジャーリーガーと何人かの代替メンバーを用意する準備ができている。結局、各国の支持は得られないし、見苦しさだけが目立ってしまう。
posted by はが 20:49comments(0)trackbacks(0)





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